「石巻市 大川小学校」が、正式に遺構として残されることになりました。

「石巻市 大川小学校」
ここでは、70人以上の小学生が東日本大震災の被害に遭いました。
その時、適切な避難をしなかったのではないかと裁判にもなった学校です。

石巻市 大川小学校

こちらの小学校も、遺構として残すのか、取り壊すのか話し合われました。

昨年、遺構として残すために整備が完了したために、見学に行ってきました。

到着したのは午後1時半頃だったのですが、学校の多くは南側にある山の壁になっています。

下の写真の右側にある山が、子供を避難させられなかったかと言われた山です。
写真だけで見るとそれほど感じませんが、実際に行ってみると結構急です。

このような説明のパネルも丁寧に作られていました。

大川小学校を建築設計の観点から見ると、とても考えられた学校だったようです。

教室の作り方なども、特徴がありました。

中庭の方へ入っていくことができます。
見事に太陽の光が当たっていますね。
この影は、南側にある山の影です。

きっと、気持ちの良い授業が受けられたのでしょう。

大川震災伝承館

学校の隣に「大河震災伝承館」ができていました。

ここにでは、大川小学校と近隣にあった町を紹介しています。

下の写真が、震災前の街並みの写真です。
現在では、すべての建物がなくなってしまいました。

写真からは、学校と南側の山が見えますね。

地図の模型も展示されていました。

大川小学校のあった町は、右の赤い点があるところです。
海岸からは約4kmも離れていました。
そのため、ここまで津波が遡上してくることは考えていなく、大川小学校自体が避難場所にも指定されていました。

ところが、この石像を見ると書いてあるのですが、この辺りは「海抜1m12cm」しかないのです。
右の下の方に彫ってあります。

下のパネルは、大川小学校(右の下の方・橋の右側)から海まで写した写真です。
どれだけ津波が大きかったのかがわかりますね。

見学にも多くの方がいらっしゃっていました

学生の方も、一般の方も、たくさんの方が訪れていました。

案内役は、被害に遭われた方のご遺族のようでした。

この思いを忘れないように、力強く話されていました。

駐車場の横には、このように避難する必要がある際の案内板が建てられていました。
栃木県も水害が多くなってきましたので、このような案内板があっても良いのかもしれませんね。

それにしても、避難目的地点までは結構距離があります。
山も登らなくてはいけないような。
あくまでも、車での避難用のようですね。

日当たりを考えた素晴らしい設計

今回、写真を見ていてハッとさせられたことがありました。

それが、校舎への日当たりです。

ここは、隣家が近く、南側には山があり、冬に日が当たる部分は少ないのです。

そこを、上手に校舎を曲げて日当たりを良くしています。

校舎だけではなくて、プールまでしっかりと日が当たるように配置していますね。

山の形は複雑なので、簡単に計算で出る物ではありません。
きっと、冬に影の位置を測定して決めたのでしょう。

もう一度、この写真を見てください。
中庭にある柵がまっすぐではないのです。
不思議だったのですが、影と同じ形をしているのがわかりますね。

この学校で亡くなられた方の遺族の方で、今でも遺品を探すために地面を掘ったりしている方がいるそうです。

ここにくるたびに、親の子供に対する深い愛を感じます。

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