クリスマスプレゼントの帰りには、南三陸を通って石巻へ向かいました。
この辺りは、行く度に景色が変わっている事もあり驚かされるのですが、南三陸も大きく変わっていました。
一番変わっていたのが、下の写真です。
南三陸を、南北へ簡単に抜けられる道が出来ていました。
片側1車線の2車線で、両端に歩道があるキレイな道路になっています。
昨年はこの道路が無かったので、うっかり南三陸を通り抜けてしまいそうになりました。
震災後の南三陸
この写真だけを見ると、何がどう変わったのかわかりませんので、まずは震災後の写真を見ていただき、思い出してください。
下の写真は、南三陸の街中の道路です。
家がないのは、流されているからです。
結構大きな建物もいくつもあったようですね。
街には、大きな川もありました。
川の高さと街の地面が、結構近いことがわかりますね。
下の写真は、山側を見たところです。
この川は、上の写真の川と一緒です。
震災などなければ、キレイな町だったのでしょう。
下の写真は、震災前の南三陸の写真です。
南三陸の今
南三陸の街は大きく変わっていました。
下の写真の、真ん中あたりに写っているのが、市庁舎です。
周りには、何もありません。
この広い部分の、右側にメインの道路があり、防潮堤の役目も果たしています。
ここには将来、何ができるのでしょうか。
南三陸 市庁舎
南三陸の市庁舎は残すかどうか話題になりましたが、残す方向になったのでしょうか。
錆止めの塗装などもしなおされているようです。
周りの工事もあり、近づくことは出来ませんでした。
南三陸の海側を見ています。
左にある土手が、前の写真で写っていた土手です。
津波が来ても大丈夫なように立ち上げています。
真ん中あたりにかろうじて写っているのが市庁舎です。
右の奥に写っている建物は「高野会館」。
高野会館
南三陸メインの道路海側にあるのが「高野会館」
津波の被害にあっており、遺構として残しておくようです。
建物の屋上近くに貼ってある青いプレートが、津波の到達点。
屋上にも30cm程潮が来たようですが、助かったそうです。
津波の到達点のプレートがこちら。
どう見ても、防潮堤を果たしている道路よりも高い。
建物の中も、そのままのようです。
南三陸の商店街
南三陸にも、商店街があったはずですが、海側にそれらしい所はありません。
あるのは、作った土手の上にある「南三陸さんさん商店街」
この「南三陸さんさん商店街」は、東京オリンピックのスタジアムを設計した隈研吾さんの設計で作られています。
ですから、木をたくさん使っているのですね。
「南三陸さんさん商店街」は、商店街というよりも観光的なお店が多いように感じました。
「南三陸さんさん商店街」の中には、このお店で購入した食材を食べたり、休憩したりできる場所があります。
なかなか気持ちの良い場所です。
南三陸で見つけた仮設住宅
震災と言えば、仮設住宅。
最近は、どのようになっているのかと思っていたのですが、まだ残っていました。
この写真を見ると今でも住んでいそうに見えますが、ほとんどいません。
1部屋だけ、今でも住んでいるようです。
大きく変わってしまった南三陸ですが、これからも発展していってほしいですね。