「石垣やいま村」も後半戦、ですが、このあたりで頭の中は暑さで煮えきっていました。
この日は、石垣島の人もまいったというくらい、暑かったのです。
それでも、興味津々で見て来ました!
大浜邸:1907年
医師として、八重山群島におけるマラリア根絶に大きな功績を挙げた大浜信賢さんの屋敷です。
石垣の代わりに、瓦を積んでいます。
珍しいですね。
ヒンプンも低くて、お花が飾ってあります。
もともと、こうだったのか、はちょっと疑問。
南東の角に玄関があります。
中に入ると、この通り。
こうやってみると、日本家屋なんだなと思いますね。
家の真ん中に有るのが仏壇。
特に仏教とかというのではなくて、先祖を祀るのが沖縄諸島流とか。
真ん中に柱の多い仏間を作ることで、家の強度が上がり、ネジリに対するバランスも良くなって、壊れにくくなっているのだとも思います。
自然と身についた知恵ですね。
これが雨戸です。
大風が接近すると慌ただしく対策作業を行い、その事を「カザンガマイ」と呼びます。
この家のあった村では、雨戸と雨戸の間に桟を挟んだり、屋敷の周囲を鋼索(ワイヤー)で引っ張るなどの対策をしたそうです。
昔のマンガやテレビで、窓に板を打ち付けるというのがありましたが、まさにアレですね。
驚いたのが置石です。
これ、サンゴでできているっぽいんです。
今こんなことしたら、大問題になってしまいますが、この島では重宝したのでしょうね。
柱にも、補修の跡が凄い。
農民の家:復元家屋
上地家と言い、農民の家です。
この家にはジルと呼ばれる囲炉裏があります。
妊婦さんが暖を取ったそうです。
暖を取らなくてはいけない程、寒い時も有るんですね。
ここで紹介します。
「たろう」君です。
水牛です。
この暑さ、水の中から動かない気持ちがわかります。
水牛って、暑いから水に入ってて水牛と呼ばれるようになったのですね。
言われてみれば当然の事に、今気がつきました。
森田邸:1909年
八重山の代表的な土俗屋敷。
元与那国村長の「梅公姓孫詳」さんがつくったそうです。
これにしてもこの名前「梅公姓孫詳」さんて、どこまでが姓で名がどこからかわかりませんね。
なんとなく、おめでたそうな名前です。
ヒンプンには瓦を載せているタイプ。
今まで見て来て気がついたかもしれませんが、石垣島の家にはほとんどシーサーがいません。
このお家には、屋根の家に乗せています。
玄関は、東から。
このようにみると、やはり良く有る日本家屋。
でも、中まで日が入らないようにしっかりと出来ていますね。
家の真ん中には、朱色に塗られた仏壇があります。
仏壇の後ろ側もお部屋になっていて、寝室などに使われていました。
この辺りのつくりは、中村家と基本的に一緒です。
台所を見ると、前に紹介した台所よりも熱が逃げにくそうです。
同じなのは、こちらも大きさが3種類ある事。
何かで使い分けたのですね。
台所の天井の柱は煤で黒ずんています。
家の後ろ側はには、少し広い部分があります。
その広い部分にあるのが豚小屋です。
家の後ろには、沖縄などで見られる防風林がありました。
この木陰を歩くだけでも、助かる、、、、
下の写真は、一緒に見る事が出来たマングローブ。
蟹とか、色々な動物もいるそうです。
他にも、リスザルと戯れる事ができる「リスザルの森」というのがありましたが、パス!
以上で「石垣やいま村」も終わりです。
次回は、この日の宿泊するホテルがある「小浜島」に行きます!
石垣島から船で30分。
お楽しみに!