私のブログは、だいたい写真10枚くらいで次回に回すのですが、今回は写真が多い!
それに明治村は面白かった。
そいうわけで、明治村3回目です!
北里研究所本館・医学館
大正4年(1915年)、北里柴三郎博士が伝染病の研究所として東京都港区白金に建てられました。

中には研究室も。伝染病を研究していたとしては簡素ですが、このような時代があったからこそ今があるのですね。

北里柴三郎博士の功績もパネル展示してあります。これらも丁寧に作られていて、読み応えたっぷり。とても1日では見終わらない量でした。

幸田露伴住宅「蝸牛庵」
洋風な建物が続きましたが、和風の建物も保存してありました。その一つが、明治初年(1868年)頃に建てられた幸田露伴住宅「蝸牛庵」です。

お家の中も見せていただきました。ここで書いていたようです。
書院の使い方がわかります。書院の大元は、暗くなりがちな手元を明るくするためだったのでしょうか。

もう160年くらい前の家ですが、このように見ると今も多く残る和風の建物を大きくは違わないですね。
三重県庁舎
三重県の庁舎として明治12年(1879年)に建てられました。

執務室も展示してありました。この時代の建物は、天井が高い建物が多いですね。

こちらには、当時のランプの明るさを体験できるコーナーがありました。下に本が置いてありますが、読むのは難しそうdした。

第四高等学校物理化学教室
ここは、明治村を作った旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)が学んだ学校です。

明治村創設者の2人のレリーフが入り口に展示してありました。

階段教室です。左にある黒板を挙げると、そこには実験用の台があります。ガスとかが発生しても上に上がるように作られていました。台の反対側にも部屋があり、そこから実験の準備をできるようにもなっています。

このような建物を見ると、明治23年(1890年)でも高度な教育がされていたことがわかりますね。
聖ヨハネ教会堂
幾つかの教会が移築されていましたが、今回はこちらを紹介します。
聖ヨハネ教会堂、明治40年(1907年)に作られました。

よくイメージできる教会とは違いますが、木組が美しいですね。

赤坂離宮正門哨舎
最後に、一番ちさい建築物?かもしれません。赤坂離宮正門哨舎を紹介します。
明治41年(1908年)に作られました。
赤坂離宮(現迎賓館)の正門に警護のために作られた4つのうちの一つです。

設計は英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人片山東熊(1854-1917)です。
迎賓館赤坂離宮も設計しています。
以上で、明治村の紹介は終了にしておきます。
それにしても、これだけ良くも保存しました。
一つ一つ、移築するだけでも多額の費用がかかります。維持管理だけでも大変です。
この功績は偉大と感じずにはいられませんでした。


