毎年年末になると、エスホームではカレンダーを届けます。
ほとんどのお客様はスタッフが届けるのですが、お一人だけ私が届けている方がいます。
それが、田中一紀さん。
エスホームで、初めて注文住宅を契約してくださった方です。
まだ、リフォームが中心で、少し建売を手がけていた頃でした。
注文住宅はまだ実績も無かったのですが、最終的に当社を選んでいただきました。
奥様とご主人と、堀こたつのある決して広いとはいえないけれど居心地の良い部屋でお打ち合わせをさせていただいていたことを今でも思い出します。
エスホームの今の姿の原点にもなる田中さん、あの時の思いを忘れないように私がカレンダーを届けています。
田中さんも「エスホームのカレンダーが無いと困る!ちゃんとスペースは空いてるから」とおっしゃてくれ喜んでくださっているのが嬉しいです!
知らなかった「ピースうつのみや」
今朝、下野新聞の「雷鳴抄」を読んでいたら「ピースうつのみや」のことが書いてありました。宇都宮大空襲の悲劇を後世に伝えようと40年間に渡り活動してきたのだそうです。

そこで代表として活躍していたのが田中さんでした。
お家を建てさせていただいたのが約20年前ですので、その時にはすでに活動をしていました。
でも、そのような事は一言もおっしゃっていませんでした。
田中さんとお付き合いしていると感じます。
自分では強い意志を持っていても、他の人に押し付けるような事はしない。
他にもいろいろな活動をされていたようなのですが、私にはお話もせず。
常に優しく接してくださっていました。
私も田中さんに話した事はありませんでしたが、宇都宮大空襲には興味を持っていたのです。
宇都宮大空襲と宮崎駿さん
私が宇都宮大空襲に興味を持ったのは、宮崎駿さんのお兄さんである宮崎新さんとメル友になったのがきっかけです。
それまでは、宇都宮大空襲があったことすらよく知りませんでした。
宮崎新さんとメル友になったきっかけは、宮崎駿さんが鹿沼市に住んでいたというブログを読んでくださったのがきっかけでした。
特に、戦時中のことや、宇都宮市や鹿沼市に疎開した時の事も書いて下さっていました。
しっかりとした文面で、毎回長文で送って下さいました。
宮崎さんご家族が宇都宮大空襲に遭われたのは、まだ小学生の低学年だったかと思いますが記憶に強く残っていたそうです。
この時からです。
宇都宮市や鹿沼市での戦争があったことに興味を持ち始めたのは。
今の宇都宮市を見ていると、戦争があったことなど考えられないですよね。
宇都宮大空襲では600人以上の方が亡くなっているのです。

ワーホリの時に感じた世界の戦争
私が戦争を意識し出したのは、30歳の頃に行ったワーキングホリデーの頃からだと思います。
当時、オーストラリアやニュージーランドに滞在していました。
とりあえずと言うことで英語学校に行くわけです。
そこには、いろいろな国から生徒が来ています。
韓国、台湾、中国、ベトナム、フランス、ブラジル、ロシア、少し思い出しただけでもこれだけいます。
そうすると、徴兵制のある国があったり、軍に入るのを逃れるために海外に来ている人たちもいたのです。なかなか日本で会うことの無い人たちでした。
あれからも、世界の戦争は減っていないどころか、危険性は増しているように感じてしまいます。
このような事を考えていると、田中さんのように戦争の悲劇を伝えていく事は大切なのだと思わずにはいられません。
ピースうつのみやの活動停止
田中さんが代表を務める「ピースうつのみや」が、今年の夏で活動を停止するそうです。
会員の高齢化が原因とか。
確かに私がいくら伝えようとしても、なかなかうまくはいかないでしょう。
戦争経験者からの話を聞けなくなるのは、残念なことかと思います。
集められたたくさんの資料は県立博物館に預けられるようです。
これからは、たくさんの資料とともに伝えられていくでしょう。
田中一紀さん、お疲れ様でした。
今年もカレンダー届けますので、待っていて下さいね。