Contents
「東日本大震災 原子力災害伝承館」から北へ10分ほど走ったところにあるのが「震災遺構 浪江町立請戸小学校」です。
福島県にある数少ない震災遺構の一つです。
ここには大きな町がありました。
「震災遺構 浪江町立請戸小学校」の西には、浪江の港町がありました。この小学校にも当時95名が通っていたということですから、しっかりとした町だったのでしょう。
その街は、津波で残念ながら無くなってしまいました。
その小学校が、遺構として残してありました。
津波は、2階の床下まで達しました
見学ルートの最初に、どこまで津波が達したのかわかります。
2階の床まできたようですね。
写真を見てわかりますが、1階のサッシが無くなっています。
内部は、津波の被害が大きい
中を見ると、ここも津波の被害が大きいですね。下地のボードもボロボロです。
ちなみに、こちらにいたお子さんや教員は全員避難して無事だったそうです。
2階は津波の影響が感じられず
津波の被害が少なかった2階の教室はキレイなまま残されています。
今にも授業が始まりそうです。
安波祭
版画の原盤?が展示してありました。
タイトルは「安波祭」。
実際にあったお祭りを版画にしています。
昔から、波が起こらないように願っていたのですね。
展望台
近くには、このような足場を利用した展望台がありました。ここには「福島県復興祈念公園」ができるそうです。
まだまだ、これからなんですね。
中浜地区大震災祈念碑と白旗熊野権現神社
「震災遺構 浪江町立請戸小学校」の近くには、中浜地区大震災祈念碑と白旗熊野権現神社がありました。
中浜地区大震災祈念碑
「中浜地区大震災祈念碑」は、ここに50世帯あったが震災により災害危険区域に指定されたため戻れなくなったことが記されています。
白旗熊野権現神社
白旗熊野権現神社は、不思議なご神体があります。
このご神体は木の一部で、何度流されてもここに戻ってくるのだそうです。
今回の津波でもここに戻ってきていて、後ろに置いてありました。
幾つのも地域で、このような不思議な話を聞きました。
ここにもありました。
漁港もありました!
街としては亡くなってしまった請戸ですが、漁港は残っていました。
漁船も多くありました。
住んでいる人はいなくても、生活は残っているのですね。
近くには、このような海岸が続いています。